2025-02-05

テクストという決定不可能な遊動空間

新田義弘の「現象学と解釈学」を読んでいて、文献解釈学の解説に以下の記述があった。(248ページ)。少し長いが引用する。このくだりはいろいろな意味で挑発的な記述と感じたので。

意味の形成体としてのテクストは、世界付着性(Welthaftigkeit)をもつものとして、そのつど他に取り替えのきかない「現に在る(Da sein)」としての固有の個別的性格をもっている。したがってテクストは、構造体としてもつ普遍的な契機すなわち反復可能な性格をもつとともに、個別的統一性としての反復不可能な、一回性の性格をもっている。この二つの契機が契合されることによって、テクストは象徴性の性格を帯びている。象徴は解読されねばならない。すなわちテクストはたえず読者による解読を促すのであり、その意味でテクストとともに、いわば「決定不可能な遊動空間」が与えられるのである。インガルデンはこれをテクストにおける「無規定的な箇所」とよんでいる。テクストは、構造的に意味の補充を必要としているのであり、解釈を介して初めて存在する。あるいは具体化する(インガルデン)のである。ひとことでいえば、テクストは解釈を必要とする形成体である。書かれたテクストは読むことができる(lesbar)だけでなく、読むことを必要としているのである。それゆえ解釈の多様性、意味の多様性は、テクストの構造そのものに由来すると考えることもできる。ここに、意味充足の多様性である解釈の複数性という、テクストに固有のパースペクティブ性が機能するのである。テクストのもつパースペクティブ性は知覚物のパースペクティブ性とは次元を異にしている。解釈は作品に外から付け加えられる余剰ではなく、作品やテクストの構想そのものに必然的に含まれる欠如の補充としての余剰であり、作品の内から促されるものなのである。

この文章を読んで、はじめに感じたのはC言語の構造体、次いでたんぱく質の立体構造、そしてハイデガーの時間論だった。物の持つ「かたち」の重要性はいうまでもないが、このかたちのもつ意味はそれ自体では決定されない。これを見たり、触ったり、周囲の物との相互作用を通じてはじめて意味が生じてくる。解釈の重要性を議論する上記の記述はまさしく、議論の枠を超えた意味を読み取ることのできる記述になっているといえる。非常に刺激的な記述という気がした。